それは、今をさかのぼること350年前。承応2年(1653年)、越中・砺波の里での出来事でした。
福野村の鎮守の氏神として、伊勢神宮より御分霊を勧請した還宮の行列。御一行は、加賀と越中の国境である倶利伽羅峠にさしかかったところで日暮れを迎えてしまい、どうにも先へ進めぬようになってしまったのです。
この知らせを飛脚で知った村民達は、手に手に燈火用のあんどんを持って峠へとはせ参じ、村を挙げて奉迎したとか。
これを起源として祭りが生まれ、地元で代々受け継がれてきたということです。
そして昭和52年、当町の開拓者・沼田喜三郎翁のふるさと(現在の富山県小矢部市)の松本市長と津沢の有志の方々により、沼田町の開基80年(昭和49年)を喜縁としてわが町に伝承されたのが「夜高あんどん祭り」。
はるか津沢で灯されたあんどんの灯は、沼田町民の心にも赤々と火を灯しつつ続けております。
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沼田乃夜高穂に穂が咲いてヨ
石狩雨竜のササ名物ヨ
サッサドッコイサノサ
ヨイヤサヨイヤサ
(囃子言葉以下略)
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清水の鯉のぼりゃ沼田の瀧ヨ
おもいかなえばササどこまでも
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ことしゃ豊年嫁入どきヨ
一升かついでササむかえゆく
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沼田乃郷に行燈たててヨ
木乃葉木のもとササ小矢部川
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おらが沼田も本家の津沢も
まちが繁昌でササ秋祭り
昭和54年9月9日 沼田神社奉納
作詞 元小矢部市長 松本 正雄